〈兄の嫁〉という関係性
本作では人間関係が物語の鍵となっている。
主人公は志乃(しの)という女子高生。志乃の兄の大志(たいし)と、そのお嫁さんの希(のぞみ)を含めた三人がメインの登場人物である。しかし、大志はすでに他界している。さらに、大志と志乃の両親は小さい頃に亡くなっているため、志乃にとっては希が唯一の〈家族〉である。
本作はタイトルの通り、大志を亡くしてしまった志乃と希が二人で暮らしていく物語である。
家族とは大雑把に2種類に分けられる。血の繋がりのある家族と、血の繋がりのない家族だ。〈兄の嫁〉は当然ながら後者に属することになる。
一方で、こういう分け方も考えられるだろう。自分で選んだ家族と、選んだわけではない家族、である。つまり、望んで家族になったか、望んだわけではないが勝手に家族になっているか、という分け方だ。
大志と希はお互いに望んで結婚し、家族となった。それは間違いない。では、希は望んで志乃の義姉になったのか。志乃は望んで希の義妹になったのか。
本作を全く知らない人に勘違いされると良くないのであらかじめ断っておくが、志乃も希もとても優しくいい人なので、大志に先立たれ、残されてしまった二人がギスギスするような殺伐とした展開にはならない。むしろ逆である。お互いに自分に厳しく、相手を思いやっているために、毎日の生活の中でたくさんの悩み事を抱えてしまう――そんな物語だ。
〈兄の嫁〉〈夫の妹〉というロール
志乃はとても思慮深い。
大志が死んでしまった後、彼女は「希さんには希さんの人生がある」と口にしている。志乃にとって〈兄の嫁〉とは、もともとは他人であり、兄と結婚したからたまたま家族になっただけで、兄が死んでしまったら家族ではなくなるものなのである。
もちろん、高校生の女の子が孤独になることを恐れていないわけがない。志乃は本心では希と一緒に暮らしたい、側にいてほしいと願っている。だが、〈兄の嫁〉に自分の面倒を見る義理はない。それどころか、自分の面倒を見て人生を台無しにするのはおかしいと考えているのだ。
だから、志乃には希への遠慮がある。一方的に面倒を見てもらっているのだから、せめて良い〈夫の妹〉でなければならないと自分に言い聞かせている。彼女のこういった性格は節々に表れており、例えば第1話から希のことを「あの人」とわざと少し距離のある呼び方をしており、また、学校行事のためのお金を自分の小遣いから捻出している。
血も繋がっていない、お互いに望んで家族になったかもよくわからない希に対して、どこまで頼って良いか、どこまで甘えて良いか測りかねている志乃は、せめて希から見た〈夫の妹〉というロールの中で、できるだけ希の邪魔にならないように振る舞っている。
一方で、希もまた〈兄の嫁〉というロールに依存していると言える。
希は、大志を亡くした志乃を孤独にさせることはできない、大志に代わって大切に育てたいと考えている。この「ちゃんとお姉ちゃんしたい」という気持ちは、例えば志乃に頼られるととても喜ぶ様子からよく見て取れる。
志乃から見たら、希は理想的な〈兄の嫁〉なのだが、実はそのこと自体が彼女の内面にある喪失感の表れに他ならない。というのも、彼女は最愛の夫を失ったことを整理できておらず、志乃にとって良い〈兄の嫁〉であることで志乃との関係をつなぎ止め、ひいては志乃を通して大志のことを追いかけ続けているのだ。
希がこのことに対して無自覚であればよかったのかもしれない。だが、彼女は自分自身が「ずるい人間」だと自覚してしまっており、そのことが志乃に対する負い目になっている。大志のことを追いかける言い訳に、志乃の存在を使ってしまっていると、自身を責めているのである。
このように、大志に先立たれた二人は、それでも二人を繋ぐものが大志しかいないために、〈夫の妹〉と〈兄の嫁〉というロールに自身を当て込み、自身の孤独や喪失感を埋めるために相手を利用してしまっていることに自覚的でいて、罪悪感を抱えている。
失ってしまった人をすぐに忘れることはできない。それが大切な〈家族〉であればなおさらだ。だから、この二人のように、死んでしまった人を中心に新しい〈家族〉の距離感を構築していかなければならないこともあるだろう。
だが、〈夫の妹〉や〈兄の嫁〉というロールを建前とする関係性では、大志の存在はいつまでたっても薄らぐことはない。
実際に、志乃の友人や希の同僚など、周囲の人々からは不安定な関係だと思われている描写がいくつも存在する。特に、大志、希、志乃の三人の面倒を見た高校教師からは「二人ともそろいもそろってお前(大志)に似てきてるぞ」と、ドキッとする指摘もある。やはり二人とも、精神的に大志に強く依存してしまっているのだ。
〈家族〉
だが、二人のロールにも少しずつ変化が起こる。それは、〈兄の嫁〉、〈夫の妹〉というロールから逸脱して、シンプルに〈家族〉へと変わっていく、幸せな変化だ。ここで象徴的なエピソードを紹介する。
ある時、志乃はふとしたことから大志の音楽の趣味が急に変わったことがあったと思い出す。そしてそれは希の影響で、希は自ら選曲したベスト盤MDを大志に渡していたと聞かされる。
こういった惚気話は物語の序盤からよく登場するのだが、このとき初めて志乃は「自分の知らない希の思い出の中の大志」をもっと聞かせてほしいと口にする。
これは「大志のいない世界から逃げている」と自覚し、自己嫌悪している希にとってはまさに支えとなる一言だったに違いない。希は「兄貴のことを無理に忘れる必要はない」「希さんしか知らない大志のことをもっと共有してほしい」と言われたように感じただろう。
これは別に志乃が意図して言ったことではないと思う。純粋に、志乃にとって大志は大切な存在だったし、死んでしまった今もなお大切な存在であり続けているから、「話を聞きたい」と言っただけだ。にも関わらず、その一言が希の心をスッと軽くすることができた。他ならぬ志乃に言われたことが、希の悩みに対する何よりの処方薬になったのだ。
これは奇跡なのだと思う。彼女たちが不器用なりに日々を頑張って暮らしていたからこそ訪れた、ちょっとした奇跡。本作の魅力はこういう日常の中の小さな幸せを見つけさせてくれるところにある。
さて、やや蛇足かもしれないが〈兄の嫁〉、〈夫の妹〉というロールの話に戻る。
志乃の一言が意図せず希の悩みの処方薬になったと上述した。これは、志乃が〈夫の妹〉というロールを超え、希の支えになれたことを意味している。つまり、希にとって志乃が、大志のことを追いかけ続けるためのスケープゴート的な〈夫の妹〉でなく、純粋に大切な人を失った仲間同士になったということだ。
支え合いながら一緒に暮らす仲間とはつまり〈家族〉だ。志乃と希は大志の存在を無理に消し去ることなく、〈兄の嫁〉と〈夫の妹〉というロールを脱ぎ捨てることに成功したと言える。
もちろん、この一言で希の悩みが完全に解消されたわけではない。マグカップを購入する際に、何気なく大志の分も買いそうになって落ち込んでしまう。このときも志乃が「兄貴が嫉妬するから」と三個買っていくことを提案することになる。
一方の志乃も、希に迷惑をかけたくないという気持ちは依然として強い。自立するために希に隠してバイトを始めようとするものの、かえって希を心配させてしまうなど、志乃自身にあまり大きな変化はない。
このように、彼女たちの性格・性質は簡単には変わらない。人間とはそういうものだろう。だが、性格が変わらなくても、重ねた時間の中で関係性が変わっていくことはある。
本作で常に丁寧に描かれているのは、人間そのものよりも、人間と人間の間の関係性である。志乃と希の関係性に変化が生じていることを象徴するのが、上述のバイトの件が希にバレてしまったときの希の反応である。
希はそれまで志乃を注意したことはあっても、怒ったことはなかった。それは希にとって志乃が〈夫の妹〉であり、つまり子供であったからだ。
だが、バイトのことを知った希は志乃に対して「不安にさせないで」と初めて怒るのだ。これは、二人がより対等な関係に発展していることの表れだろう。
本作では、大切な人を失ってしまった〈兄の嫁〉と〈夫の妹〉が、日々の暮らしの中であらためて〈家族〉になっていく、小さな幸せが描かれている。二人の関係性の変化が丁寧に描かれており、読者はそのちょっとした変化に気付き、二人の幸せを祝福できることだろう。
今後もこの二人がどのように暮らしていくのか、どういう形の〈家族〉になっていくのか、楽しみで仕方ない。